(今日こそヤっちゃうよ…♪) コップに牛乳を並々と注ぎ込み、一気に飲み干した。 僅かに口の端に零れた白い液体を濡れた舌で舐めると、ひそかに口角を上げて、 ひたすら無表
(今日こそヤっちゃうよ…♪)
コップに牛乳を並々と注ぎ込み、一気に飲み干した。
僅かに口の端に零れた白い液体を濡れた舌で舐めると、ひそかに口角を上げて、
ひたすら無表情で目の前のトーストだけを見詰めながらかじりついている弟に視線を這わせる。
長い睫毛が頬に影を作って居る。ピンク色の血色のいい唇がモグモグと動いているのを見て、
今すぐその食パンを取り上げ、驚いている顔を引き寄せ思う存分唇を食(は)んでやりたいと妄想を巡らせる。
「……………」
その小さなかわいらしい唇の動きが静止した。
ドス黒い姉の思惑を察知したのか、弟は不機嫌そうな冷え冷えとした視線をチラリと向けた。
(何見てんの?)
まるでそう言いたそうな顔だったが、美和子は嫌らしい変態じみた恍惚とした笑みを彼の目がこちらを向く前に引っ込め、
普段の「何を言われようとも許す心優しい姉」の顔に作り変え、彼に微笑んで見せていた。
「アキト君今日何時に帰ってくるの?」
美和子はいつも弟のアキトを『君』付けで、猫を甘やかすような口調で話し掛ける。
「…………………」
アキトはもう既にトーストだけに目線を落とし黙々と食事を続けていた。無視である。
「お姉ちゃん今日は早く帰って来るよ。何が食べたい?」
そんなアキトの反抗期真っ只中の反応を物ともせず、更に続ける。
「ハンバーグ作ろうか?アキト君ハンバーグ好きだよね、お姉ちゃんいっぱい作っといてあげるから早く帰って来てね」
「ご飯食べ終わったら今日は夜までゲームしちゃおうよ?明日土曜だし…ね?お姉ちゃん桃鉄の1番新しいやつ買ったんだよ?朝までやろうよ!楽しいよ〜〜??」
−ガチャン!
言葉を遮るように耳をつんざく大きな音を立てて、アキトが食べ終わった皿とマグカップを重ねた。
そのまま不機嫌顔でイスから立ち上がり、台所まで食器を運ぶと律儀にも自ら食器を洗い始める。
一瞬面食らった美和子だが、直ぐにニヤニヤとした表情で背後のアキトを振り返ると、イスの背もたれに肘を着いて若すぎる新妻のようなその姿をほほえましく思いながら、存分に鑑賞した。
(ってか新夫?
う〜ん、お尻小さい………、撫で回したい尻ね……)
またもや変態的な事をぼんやり考えていると、皿洗いを終えたアキトは濡れた手をタオルで拭いて再びテーブルの近くに寄ると、床に置いてあった学生カバンを掴み洗面所に入って行った。歯を磨くのだろう。
(早っ。食べて直ぐに歯磨くの気分悪くないのかしら?)
美和子はそれが自分のせいだとは思わずに、アキトが洗面所から出てくるまで優雅に朝食を続ける事にした。
そして最後にアキトが玄関で靴を履いている所に忍び寄り、朝早く起きて作っておいたお弁当を無理矢理渡すと玄関から見送った。
アキトは初め「要らぬお世話」とでも言いたそうに美和子を睨んだが、食べ物を粗末にしないいい子に育てられて居る。
「育った」と言えないのは、美和子がアキトの成長を1から見ている訳ではないからだ。
アキトは、母親が再婚した事によりいきなり出来た連れ子としての弟だった。
初めてアキトに出会った日の事を美和子は今でも鮮烈に思い出せる。
「美和子、今日からあなたの弟になる秋斗君。仲良くしてね?」
「秋斗をよろしく美和ちゃん、ほら秋斗、お姉ちゃんに挨拶しなさい」
「……………」
美和子はその時13歳で、アキトは8歳になったばかりだった。しかし何故かその初めて会った時から反抗的な態度を美和子に取り続けていた。
「アキトくん、アタシのことお姉ちゃんて呼んでね、よろしく」
美和子が父親の後ろに隠れるアキトに手を差し延べても、アキトは父親のズボンを握りしめる手に力を入れたまま、美和子を下から睨み付けて居た。
「こら秋斗……」
父親が見兼ねてアキトを叱りつけようとしたが、美和子はそれを遮った。
「いいの」
夕日を逆光にして本来は茶色の柔らかな髪が黄金に輝き、それに縁取られた白い全てが整った小さな顔の中に、
意志を持ち真っ直ぐ見据えてくる潤んだ大きな目。
美和子は夢でも見ているかのような気持ちで、ふわふわと足元が覚束ない感覚を覚えた。
その存在を主張する、銀河を閉じ込めたような二つの宝石に吸い込まれそうだった。
(この天使みたいな可愛い子が…………………今日からアタシのおとうと…………………)
美和子は一瞬でアキトに心を奪われて居た。
しかしその時は宝物のように思っていた感情も、今は違う。
今日は母親が友人と旅行に出掛け、義父は出張という、両親共に居ない初めての日だった。
美和子は決して弟の目の前では見せないような湿っぽい笑みでクスクスと笑う。
「んふふ………アキト………………………カワイイよ…………………………?」
(今日こそあの整った顔をめちゃくちゃにしてやる…)
美和子はこの日が来るのを心底、心待ちにしていた。
<つづく>