この話は続きです。初めから読まれる方は「桜の季節 」へ 入学式は滞りなく終わった。知らない歌が流れ,それを大学の合唱部が歌っているのを聴きながら,私と彼女は資料にあ
この話は続きです。初めから読まれる方は「桜の季節」へ
入学式は滞りなく終わった。知らない歌が流れ,それを大学の合唱部が歌っているのを聴きながら,私と彼女は資料にあった楽譜をまじまじと見ていた。
「これから皆さんには各教室に移動していただいて,オリエンテーションに参加していただきます」
学生課の職員だという中年の男性が,さきほどまで学長やら理事やら学部長やらが話していた壇上で指示を出し始めた。理学部はあっちへいけ,工学部はこっちへいけ,そんな言葉が続いている。
「瀧さんも文学部よね?」
「うん,そう」
「じゃあ教養棟の102教室だね」
「教養棟って場所わかる?」
「うん,わかるよー。三日前に引っ越してきたんだけど,それから毎日大学きて探索してたの」
ふふふ,と笑って彼女は資料を封筒にしまう。
「もう行っていいみたいだから」
誘われて私も席を立った。
教養棟は正門の近くにあった。朝通ってきたメインストリートの途中から細い道に入り,並んでいる大きな建物をたどって少し小さめの校舎の前で彼女は止まった。私達のうしろから数人の学生も資料を片手に歩いてくる。ここでいいのだろうかと心配そうな目で周りの建物を見上げていた。
「102号室,102号室・・・・・・・」
彼女が扉の上に突き出ている表札を数えながら進む。探すのは彼女に任せ,私はあとをついて行きながら途中の事務室の中やトイレ,学部の図書室などを覗き込んだ。
「あ,あったよー,瀧さん」
一階の廊下の一番奥で彼女が立ち止まり,私を呼んだ。
教室には既に二人の中年男性と一人の若い女性がいた。その女性は私と彼女が教室に入ると,分厚いピンクの封筒を渡してきた。
「オリエンテーションで使う資料です。それから,中に今日の出席票が入っていますので,記入しておいてください。オリエンテーション後に回収します」
柔らかい声で説明してくれる女性に私達は小さくお礼を言って封筒を受けとり,硬い椅子に腰を下ろした。
「出席票・・・・・・」
彼女は早速がさがさと封筒の中を覗き,A4版の紙を一枚引き抜く。次いでショルダーバッグから透明なプラスティックのペンケースを出してシンプルな水性ボールペンをとり,名前を記入していった。
「・・・・・・岸田さんっていうんだ」
書かれた名前をぼそりとつぶやく。
「え・・・・・?」
それを耳にした彼女が少し驚いた様子で顔をあげた。
「あたし,名前いってなかったっけ・・・・・・?」
「うん,今知った」
頷く私を見てさらに目をまるくし,そしてボールペンの尻を眉間にあててうーんと考え込む。
「ああ・・・・・ああ,そっかー。あたし,瀧さんの名前は受験票で知ったんだよね,そいえば・・・・・・」
当てていたボールペンで,今度は側頭部をぽりぽりとかく。眉間にはボールペンの跡がついていた。
「ごめんね,名乗ったものだとばかり・・・・・・あたし,岸田あゆみっていうの」
肩をすくめて言う。
「うん,よろしくね,岸田さん」
「よろしくね・・・・・」
彼女の頬はやや赤らんでいた。
「授業これだけ多いとなぁ・・・・・」
オリエンテーションに集まった新入生は30人ほどだった。学部長,学科長からあいさつがあり,学生課からきているあの若い女性が履修手続きや図書館の利用,ロッカーを使いたい人は・・・・・などと説明をした。それが終わって私達は学食のテーブルで時間割と睨めっこをしていた。
「一年生のうちに,教養の単位はなるべくとっちゃう方がいいって言ってたね・・・・・・」
「明日からもう始まるんでしょ? 明日の朝までに全部決めるとかもう無理」
「うーん・・・・ええと,これがこの単位で・・・・・うーん・・・・・」
「岸田さん何とるの?」
「ええと・・・・・・一応明日のだけ決めちゃおうかなと思ってるんだけど・・・・・・」
シャープペンシルでぐりぐりとマルをつけてある講義番号を彼女が示す。
「一限目の文化人類学と,二限目の英語ⅠA・・・・・・あ,英語は必修だから瀧さんも出るよね」
「それ,クラスの振り分けがあったっけ?」
「うん,ええと,この表で・・・・・・」
六人掛けのテーブルいっぱいに時間割やらクラス分けの表やら履修登録用のマークシートやら履修案内の冊子やらひろげてお互い眉間にしわを寄せる。
「シラバスを見・・・・・シラバスってなに?」
「シラバス・・・・・ええと,これだわ。・・・・・・・授業の内容の紹介みたいな感じ・・・・・・?」
「なるほど・・・・・」
履修案内をめくりながら必修科目を探して時間割にしるしをつけるといい,と学生課の彼女が言っていたことを思い出して蛍光マーカーでラインをひいていく。
「一限目って何時だっけ?」
「九時からだってー」
必修の入っていない時間で教養科目をとっていくということで,対象講義のシラバスを凝視する。
「成績評価は期末試験っていうのと,レポートっていうのがあるね」
「どっちがラクなんだろう・・・・・」
「うーん・・・・・」
姿勢を崩して頭を抱え込む二人の新しい衣装は既にねじれたしわを刻み,きれいにまとめてあった彼女の髪は,その一部がぱらぱらと横に落ちてきていた。
しかしその甲斐あってか,なんとか二日分の時間割はできた。結局二人で相談しながら決めたためか英語と情報処理の必修クラス以外はほぼ同じ時間割となった。彼女はうーんと背伸びをする。
「ひとまず今日はこれでいいか・・・・・・」
私も左右に首を伸ばした。コキコキという音がする。
「ああ・・・・・・帰ったら引っ越しの片付けかぁ・・・・・だるいなぁ」
真上にのばした腕を身体の横にだらりとおろし,彼女がため息をついた。
「寝る場所とかあるなら,明日でいいんじゃない?」
「それがねぇ・・・・・・」
彼女はベッドではなく布団で寝るのだという。そのほうが狭いワンルームを広く使えるから良い。しかし物が片付いていないため布団が敷けず,この数日折りたたんだ敷き布団の上で掛け布団にくるまってアルマジロのように寝ていると項垂れた。
「アルマジロなんだ・・・・・」
「うん,朝起きて背伸びすると,背中がバキバキっていうの・・・・・」
時計を見れば,夕方の四時だった。履修手続き関係の書類や時間割を片付けながら考える。
「片付け,少し手伝おうか?」
「え?」
まだ四時だから,家に連絡をいれておけば二時間くらい寄り道しても親は大目に見てくれるだろう。
「え,悪いよ,これからあたし多分すっごいお世話になるのに最初から引っ越しの片付けとか」
「もちろん迷惑じゃなければの話だけど」
「ううん,全然,全然迷惑なんかじゃないけど,でも」
「じゃあ行こうか。家に電話するからちょっとまってね」
「ええ?」
ポケットから二つ折りの携帯を取り出して開き,リダイヤルを押す。プルルルルと発信する先は母親の携帯だ。それをおろおろとした眼差しで彼女が見上げている。
『はい,ああ,かなえ? 入学式どうだった?』
明るい声が返ってくる。
「うん,普通かな。結構人がいて,保護者とかも来てた」
学長はいい人そうだったかとか,どんな学生がいたかとか訊いてくる。
『合格発表のときお世話になった子は来てたの?』
「ああ,うん,いたよ。今もいっしょにいる」
『あら,まあそうなの,ちゃんとお礼いった?』
「あ,・・・・・・・あぁ,うん,それでさ」
彼女と友だちになったこと,引っ越しの片付けが終わってなくてアルマジロになっていること,片付けの手伝いに行くことなどを説明する。
『そう,わかったわ。ご迷惑にならないようにね』
「うん,じゃあ終わったら適当に帰るから」
はいはい,と答える母親との通話を切って携帯電話をポケットにしまうと,縮こまっている彼女と目があった。
「アルマジロっていわなくても・・・・・・」
「え? あ,ごめん」
小さくなっている彼女の様子が可愛らしくて私は思わず笑ってしまった。
「・・・・・・・ほんとにすごく散らかってるから,驚かないでね」
よいしょと席を立ち,大きなピンクの封筒をショルダーバッグにおさめて彼女は私の前を歩き出した。
夕暮れ時の空に桜の花も紅く染まっていた。
続く「桜の季節3」へ