この話は続きです。初めから読まれる方は「桜の季節 」へ 岸田あゆみの部屋は汚いというより段ボール箱が積み上げられた迷路だった。 「ええとバッグとかはなくならないように
この話は続きです。初めから読まれる方は「桜の季節」へ
岸田あゆみの部屋は汚いというより段ボール箱が積み上げられた迷路だった。
「ええとバッグとかはなくならないように,ここら辺に置いておくといいかも・・・・・」
部屋に入る手前の廊下の端に,彼女の白いショルダーバッグといっしょに私のバッグも置く。
「いまお茶を・・・・・」
「いや,いらないから。ていうか片付ける前に散らかさないようにしよう」
「あ・・・・・・・うん,じゃあ,一段落したら煎れるね」
「うん,ありがと」
スーツのジャケットを脱いでバッグの上にのせる。
「岸田さん着替えちゃったら? その服じゃ動きにくいし,汚れちゃうでしょう」
「あ・・・・・・そうだね,じゃあ,そうしようかな」
「私ここにいるから」
「うん,すぐ着替えてくるね」
彼女は部屋に入り,引き戸を閉めて段ボールをがさごそと探っているらしい音をたてた。パチン,パチンとスナップボタンらしき音,ファスナーを滑らせる音も聞こえてくる。しばらく衣擦れが続き,やがてカタンという音がして戸が開いた。
「お待たせしました,どうぞー」
上は淡いパープルのレディースのTシャツ,下は黒っぽいジーンズという姿で,明るい色のゆるいウェーブの髪は後ろの高い位置でひとつに束ねられていた。
「とりあえず昨日,棚とかは頑張って設置したの。だから棚に本とか小物とか並べるのを手伝ってもらおうかな,と」
壁際に立てられた金属製の棚に身体を向け,顔は私のほうに向けて彼女が微笑んだ。
「うん,わかった」
「それじゃええとね,この箱が本だから・・・・・・」
棚が立てられていない壁に寄せてある段ボール箱の山を示し,上にのっている小さな箱を脇へどけていく。大きめの箱は3段に重ねられ,その一番上を「よいしょ」と床におろした。
「この中にある本を,ここの棚にお願いします。あ,順番とかはあとでそろえるから適当で」
「はーい」
そしてしばらくの間,お互い黙々と作業を続けた。私は箱の中の本を棚に並べ,彼女は小物を引き出しに収納していく。料理の本,ライトノベル,辞書,雑多なタイトルの新書,高校のときの参考書。格闘技の雑誌があったかと思えば釣りの雑誌や演劇の雑誌,ゲームの攻略本もある。結構多趣味なのかもしれない。
本が入っていた箱のいくつかが空き,それを畳んで中身の入っている箱と壁の間にはさんで寄せておく。そして3つめの箱を開けようとしたときだった。彼女が小物の入った箱をとって戻ろうと後ろに一歩さがったとき,その脚が床にある私の目の前の箱にひっかかり,バランスを崩した。
「あ・・・・・!」
手に持っていた小さめの箱を取り落とし,更に近くの大きな箱につかまろうと伸ばした手が箱をつかみきれずに滑り,ドンガシャンと大きな音を立てた。反射的に彼女の腰に手を回して自分のほうに引き寄せていた。少し体勢を崩して床に座っている私の膝の上に彼女が座っているという形になっていた。
「あ,ごめ・・・・・・!」
顔を真っ赤に染めて口に両手をあて,咄嗟に彼女が叫んだ。
「いや大丈夫大丈夫。けがはない?」
「うん,ない,ほんとにごめん・・・・・・」
そして俯きながら私の膝の上から立ち上がろうとする彼女の視線が床のある一点で一瞬止まった。彼女はすぐ目をそらしたが,私が身体をひねってその止まった方を見遣ると突然視界が真っ暗になった。
「だ,だめ,ちょっと待って・・・・・・」
どうやら彼女に両目をふさがれているらしかった。
「・・・・・・ちょっと,そのまま目閉じてて」
彼女の手が離れ,視界が光りを取り戻す。
その先にあったのは,散乱した様々な小物の中で一つだけ異色な,ピンク色をした小さな機械だった。
「・・・・・・」
彼女は耳まで真っ赤になってそれを引き出しの奥に隠した。
それは,小さな千円くらいのローターだった。
彼女は背をむけたまま項垂れていた。
「・・・・・・見えちゃった・・・・・よね・・・・・・・」
真っ赤になって小さくなった背中がぽつりとつぶやく。
こういう場合,男性だったら「お前もか,まあ当たり前だよな」みたいなノリになるのだろうかと私も項垂れる。すべき反応の仕方がわからない。
すぐ背後にきた私の気配にガチっと彼女の身体がかたまる。
「気にしなくていいよ,私も使ったことあるから」
すべき仕方がわからないので,とりあえず彼女の真後ろまでいき,彼女を後ろから抱きしめてみた。
「あ,あの,・・・・これ,前の彼氏がね・・・・・」
「そうなんだ。私はこっそりネットで買っちゃった」
「あ,・・・・・・あ・・・・そうなんだ・・・・・」
「・・・・・気持ちいいよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・そ・・・・・だね・・・・」
私はゆるりと彼女の身体から手を離し,そしてもとの箱の前に戻った。作業を再開しようとする私を彼女がおずおずと振り返る。
「あ・・・・・あの・・・・」
「内緒ね。お互いに」
人差し指を唇にあてていうと,彼女がくすりと笑った。
「うん」
それから本の入った箱をすべて空け,ローターを見られた以上はもう何を見られても恥ずかしくはないということで彼女が片付けていた小物類の収納も手伝い,気がつけば六時半を過ぎていた。
「あ,瀧さんごめんね,時間・・・・・」
今日で片付いた分の箱の床の上でクッションをひろげて壁にもたれている私に彼女がお茶を運んできた。
「あー・・・・・・ありがとうー」
お茶をもらって一口すすり,ほっとため息をつく。
「瀧さんは,大学から家までどのくらい時間かかるの?」
「一時間半かなー」
「あ,じゃあ,ちょっと大変だねぇ」
「これから一時間半か・・・・だるいな・・・・・・」
「ごめんね,手伝ってもらっちゃって」
「うん,いや,それは全然いいよ。好きで手伝ったんだから」
カップに口をつけたまま笑うと,彼女も笑みを返してくる。
「もしよかったら,泊まってく? お陰で片付いたから二人分の寝るスペースはあるよ。布団は家族が来たときのためにもう一人分あるし」
泊まりか・・・・・と内心でつぶやいた。正直泊まるのは悪くない。疲れていて帰るのが面倒なのは確かだし,大学から近い分,明日の授業のために早起きしなくて済む。しかし私自身が実家にいるということで,外泊について親の承諾を得られるかどうかが問題となる。
「じゃあ,ちょっと親に電話してもみていい?」
「うん,全然。あ,あたしも電話してくるね。今日連絡しなさいって言われてたんだ」
「それじゃちょっと廊下借りるね」
「うん」
リダイヤルを押して発信音が鳴る。出たのは母親だった。
『お手伝い終わった?』
「うん,今終わった。で,今日ほんとは帰るつもりだったんだけどさ」
『うん? 帰ってこないの?』
「結構疲れちゃったから。どうしようかな,って。岸田さんが,よければ泊まっていったらって言ってくれてるんだけど」
『ダメよ,ご迷惑になるわ』
「迷惑じゃないから大丈夫っていってる。それに,大学から近いから,明日ラクじゃない?」
『ちょっと待って,お父さんにかわるから』
困った様子の母親がかわった父は意外と飄々としていた。
変な子じゃないんだな? 男じゃないんだな? 男は絡んでこないんだな? 等々,数多くの確認の後,
『じゃあお前の分の夕飯は父さんと清太で食うか』
と言って承諾してくれた。後ろのほうで『本当に大丈夫なの?』と母親の声がする。
「明日大学おわったら帰るから」
『ああ,わかった。あと大学の中で結構変な宗教の勧誘があるらしいから,それも気をつけてな』
「うん,わかった」
夕飯をちゃんと食べるように,と念を押されて電話は終わった。
岸田あゆみの方も,戸の向こうで「うん,じゃあねー」と電話を切っていた。
「どうだった?」
「泊まりOKだって」
「あ,よかった・・・・・! 実は夜一人ってちょっと寂しくなってたんだ」
ふふふ,と彼女は笑った。
「寝る時パジャマ貸すね。まだ着てないのがあるから」
夕食をどうするかという話になり,せっかくだから大学の近くの店に行ってみたいということになった。大学の近くにはチェーン店のうどん屋,天ぷら屋,ファストフード店,居酒屋,個人経営のそば屋と小さめの喫茶店,焼き鳥屋,そしてラーメン屋がある。
「定食屋さんみたいなのないのかな? パスタ食べられるところでもいいなぁ」
大学の新聞部が配っていた大学周辺の手作り地図を眺めながら,岸田あゆみが首を傾げる。私もいっしょになって覗き込んだが,それらしいものは大学周辺というより最寄り駅周辺に位置していた。
結局,個人経営のそば屋でうどんを食べることにした。
「瀧さん,これ,パジャマね」
食事から戻ると彼女はまだ積み上げられている箱を開け,中から袋に入ったままのパジャマ上下を取り出した。そして彼女自身のパジャマはクロゼットの引き出しからひっぱり出していた。
「ありがとう。ちょっと着替えてくる,バスルーム借りるね」
「うん。あ,シャワー使うならタオル出すよ」
「いや,今朝浴びてきたからいいや」
「うん,わかった。あたしも着替えちゃうね」
バスルームはトイレとは別になっていた。彼女自身がこだわったことで,つまり家族が来ることがあるので別々の間取りじゃないと不便だという話だった。バスルームが独立していることできちんと洗い場もあった。
浴槽のふちに渡されたパジャマを掛け,ブラウスのボタンをはずした。パジャマの隣にそれをかけ,上のパジャマを羽織る。ズボンを脱ぎ,ストッキングも脱ぐ。家でならころころとまるまった状態で洗濯物置き場に投げ入れておくが,さすがに今日は丁寧に脱いでまとめ,畳んだズボンの上に置いた。
着替えが終わり脱いだ服をもって部屋に戻ると,岸田あゆみが私のジャケットをハンガーにかけていてくれた。
「あ,ズボンもかして。吊しておけば,しわも少しとれるみたいだから」
お礼を言って彼女にズボンを渡す。ブラウスとストッキングはクローゼットの隅に置かせてもらった。
続く「桜の季節4」へ