父のDVから母を守っているウチに芽生えた性欲

時刻(time):2020-11-30 08:22源泉(Origin):net 著者(author):admin
母親との近***はDV等の家庭的に問題のあるケースが多いという話ですが、それは本当だと思います。 うちも父がDVでしたから、今思い起こしてもそれがなければ至極まともな母子関係
母親との近***はDV等の家庭的に問題のあるケースが多いという話ですが、それは本当だと思います。
うちも父がDVでしたから、今思い起こしてもそれがなければ至極まともな母子関係だったと思いますよ。
というか僕が家を離れた今はあの頃のことがなかったのように普通の母子関係ですから。




正直、ほんとに嘘のような他人事のような気分で当時のことを思い出したりします。
べつに思い出したからって下半身が熱くなったりしませんし。
そういうことを思うことすら気持ち悪いという感じです。

うちの父のDVというのはちょっと特殊で酒が入ったときにのみ発症するものでした。
しかし酒が入ったからといっても外で飲んで暴れたという話は聞いたことがないので
恐らくは家庭でのみ、しかも母にのみにぶつけられたものだったと思います。

とにかく父の母にむけられた暴力は僕が物心がついた頃の記憶にもあるぐらいですから
おそらく母と一緒になったころからそうだったのでしょう。
僕にとって母は命を繋いでくれる唯一の存在でしたから、幼少の頃でも恐怖を捨てて
必死に父に立ち向かっていたそうです。

その頃の僕のことを母は懐かしそうに今でも話してくれることがあります。
逆に殺されてしまうのではないかとヒヤヒヤしたそうですが。

しかし父は絶対に僕には暴力をふるいません。
もともと田舎の大地主の末っ子ということもあり、長男は一家の財産というような
古い考えを持っているようでした。

ですから母が暴力を振るわれているとき、僕が母に覆いかぶさるように庇うと
父は僕ごと殴ったりするような事は絶対にありません。
ただ当然幼少の僕は母より全然小さいですから体ごと覆いつくすことはできず
空いた隙間から蹴ったりしてたのを今でもよく覚えています。

それが災いして酔った父の蹴りがあやまって僕の胸に当たり気絶した事があります。
その時はさしもの父も青い顔して救急車を自らよんだそうで、結果僕のアバラ三本が
折れるということでした。

幸か不幸か落胆憔悴した父は家で飲むのをやめ、外で飲むようになりその頃から
父と母は別々に寝るようになったと記憶しています。

しかし外で飲むといっても当然酔いが残っているうちは、たとえ母が寝てたとしても
何かにつけ難癖をつけ暴力をふるおうとするので、僕は母の後ろから抱きつくような
格好で眠るようになり、父は僕を骨折させたショックがよほど大きかったのか
それを見ると毒気を抜かれたようにすごすごと寝室から出て行ったのを今でもよく覚えています。

僕が母の体に反応し勃起するようになったのは小学四年になってからだったでしょうか。
記憶が判然としませんが起こったことを逆算していくと多分その頃だったと思います。

その頃はまだ学校で性教育などほどこされたいたわけではないので、母の体に反応して
勃起する事を恥ずかしいと思いませんでした。
ただ多分母は僕が勃起していることを気づいていたとは思います。

僕も恥らう気持ちもないので勃起していることを意識することなくすやすや寝ていました。
それが小五に上がってからしだいに勃起するだけではなくペニスに快感を感じるようになり
その快感の誘惑に負けゴシゴシと母のお尻にペニスを押し付けるようになったのです。
えもいわれぬ今までに感じたことのない快感だったので小五の僕には抗うことができず、
母が「う〜」とか言って体を揺すってもやめずに図々しく押し付け続けていたのを
今でもよく覚えています。

母としては必死に父から守ろうとする僕と性欲が芽生え始めた僕の求愛との狭間で
どう対処したらいいのか分からなかったのではないでしょうか。

小五のどの時点だったかは覚えていませんが、どこかの時期に性教育をほどこされ
僕がしている事がどうやら性行為の真似事であるという事が漠然と理解するようになりました。

知ったときの感想は恥じるというよりも興奮したというのが偽らざる当時の感想です。
小五ながらにセックスという言葉を意識するだけでウットリした心持になるようになったのは、僕が母に対して変体チックな求愛をしいたからだと思います。

当時の僕の行為を母はどう感じていたのでしょうか。
隣で寝ている妹を起こしてはいけないという事もあったのでしょうが、セックスを
意識するようになってからの僕の求愛は激しさをますばかりで、よく声を出して
咎めなかったなと今でも思います。

何しろ図々しくも僕はパンツも下げてペニスを押し付けていたのですから。
傷つけてはいけないと思ったのか・・・それとも父から守るナイトとして貢献している
僕のこの程度の欲求には容認してやろうと思ったのか・・・。
とにかく「あ!」とか「ん!」とか時折声を漏らすぐらいで母はけして僕を咎めようと
しなかったのです。

当然僕の精通はその頃と重なります。
出すときに精液がでるという事も理解しながら、はじめて精液が尿道を
通るときの快感に震え母のパジャマのお尻の凹みに精液を注ぎ続けました。
異常に興奮し「か、母さん・・・母さん」と声を漏らしながらブルブル震え
初めての射精を終えたのを鮮明に覚えています。

なぜかと言うと射精を終えた瞬間、自らの行為が異常に恥ずかしくなり
情けなくなり悲しくなって泣いてしまったからです。

射精を知った母は三面鏡の前に置いてあるティッシュ箱を取りにいき
ごしごし拭いてすぐに寝てしまいました。
拭いてもどってきて布団に戻るときさすがに怒れると思って、よけいに
激しく嗚咽をもらすと母はよしよしというように僕の頭を撫でてくれました。
そして何事もなかったように寝てしまいました。

二度とやるまいと思い、母にしがみついて寝るのを止めようとしたのですが
父のDVが止んだわけではなく不定期的に寝室に来訪する父の為にやむなく
同じように母をガードしながら眠るという・・・そうするとあれほど硬く誓ったにも
かかわらず僕の中に眠る性欲の悪魔が頭をもたげ、下半身は吸い寄せられるように
母の尻の割れ目に吸い寄せられていきます。

どうにもあらがう事ができず母のパジャマの上に射精する毎日が続きました。
しかしそんな異常を隣で眠る妹が気づかぬわけもありません。
僕がいつものように母の後ろで腰を振っているとき急に
「兄ちゃんお母さんに何してんの?」と言ってきたのです。
心臓が止まりそうでした。

僕は氷のように冷たく固まり身じろぎする事すらできません。
「お馬さんごっこしてたのよ、ね?」と、厳しい言い訳をする母の言葉は今でも耳に残っていて
ときおり夢にも出てくるくらいです。

「そうなんだぁ、わたしもやるぅ」と言った妹を手招きし僕との間に入れようとする母。
僕はあわててパジャマのズボンをあけ、偽りのお馬さんごっこを妹が満足するまで興じたのでした。
妹の無邪気さには救われたという者の自分のしていた事の罪悪感が払拭できるわけもなく
ただただ自己嫌悪に陥る僕でした。

翌日の朝食のときの事です。
ふいに母は「そろそろこの子達の部屋が居ると思うんですけど」父に話を切り出しました。
「なんだ?今のままじゃだめなのか?」と父。
「だめということはないですけど、これからほらこの子も勉強するのに一人の方がいいと思って」と母。

この話をきりだされた心境を恥を忍んで申し上げれば、そのまま彼女にフラれたような心境で、
ああ、とうとう愛想尽かされたんだなという気持ちになり
内心すごくブルーになったのを今でも覚えています。

その後の話は父の「よし」の二つ返事で完結でした。
なにしろ父は僕のためとなると出費も労力も厭わない人でしたから。
あまつさえ僕の成績はすこぶる優秀な部類に属していましたので、母がそれを見越して
勉強の二文字を持ち出したのは言うまでもありません。

かくして父は書斎に使っていた数部屋を整理して、要らぬ物は本家の物置に運び出し1日を待たずして
僕と妹の個室があてがわれることになったのです。
狂喜する妹、落胆する僕、この時の二人を客観的に見たらさぞかし対照的に映ったことでしょう。

その日の授業は憂鬱で性欲を持て余す自分に対する嫌悪でいっぱいでした。
必死に守り続けてきた母にすら見放される僕・・・。
なぜ止める事ができないのか、時間を巻き戻せたらもう一回やり直せたらもう絶対にしないのにという気持ちでいっぱいでした。

どうやら気づかぬ内に頭をかかえてウンウン唸っていたらしく、隣の女の子にどうしたの?と
聞かれたときには大そう焦ったのを覚えています。

家に帰るととりあえず新しい自分の部屋に荷物を運び込むことからはじめます。
言い忘れていましたが我が家は田舎という事もありますが、本家から広大な土地を譲り受け
両親の結婚祝いに巨大な屋敷を建ててもらっていたので部屋数は4人で住むには異常に多く、
それがかえって子供の頃は怖くて不気味に感じていたのを思い出します。
食事を終え、家族の中で僕がいつも最後に風呂に入るのですが、あがってきた時のことです。

「お母さん何それ〜」と言ってキャハハと笑う声が今の方から聞こえてきました。
「何だ腹でも壊したか?」という父の声。珍しく父も笑っているようです。
何事かと思い今のドアを開けてみると
母がパジャマの上から縫い合わせたタオル地のパンツのようなものを履いているのです。
それは腹まで届くようなもので、確かに不格好で吹き出すのも無理はないというものでした。

「そうなのよ、最近なんか冷えるみたいでねぇ」と母。
タオル地のパンツをお腹まで引っ張りあげます。
「お母さんそれ自分で作ったの?変なの」と妹。
「要らないタオルいっぱい余ってたから5枚くらい作っちゃった、変?」と母照れ笑い。
「おいおいそんなんで外に出るなよ」と父。
「出ませんよ、まさか」と母。
このやりとりの中、このパンツの意味するところを考える僕。

もしかして僕を受け入れてくれる為に作ってくれたのではないか?
もしかしてその為にわざと妹と部屋を別にしたのではないか?
その不格好さに笑う二人をよそに心臓の鼓動を早め心トキめかせる僕でした。

母は居間に入ってきた僕を確認すると、ちょっと頷くようにコクリと頭を下げました。
そうあなたの考えてる通りよ、そう言われてるような気持ちでした。
僕の下半身は急に劣情をもよおし一気に真上に直立します。
パジャマ代わりに履いているジャージの前が急に窮屈になり、慌てて部屋を後にする僕でした。

初めてあてがわれた自室で、これから起きることを考える僕。
母は自分を拒んではいなかった。あまつさえ二人きりで寝られる機会をもうけてくれた。
その意味するところと、何ものからも邪魔されず夜に営まれるであろう行為を思うと
それだけで射精してしまう程の興奮をおぼえたことを思い出します。

気もそぞろになりながらも、何とか今日の宿題を済ませ、いったい今何時頃だろうと時計を
確認するとまだまだせいぜい8時30とかそんな感じで、当然父も寝ているわけもなく
早く時間よ過ぎろと願うばかりの僕でした。

とにかく友達借りた漫画や本やらで時間をやりすごそうとするのですが時計を確認しても
せいぜい5分か10分しか経っておらず、気ばかり急いた記憶があります。
父の書斎と妹の部屋、トイレに行くふりをしてドアの向こうの電気が点いてないか確認する僕。
あの頃の僕はまるでさかりのついた犬か猫のような発情ぶりだったと
今となっては恥じ入るばかりです。

父の書斎の明かりがドアの隙間から漏れなくなったのはもう11時近くになっていたでしょうか。
もう母が寝てしまうのではないかと気が気ではなかった記憶がありますので、
たぶんその頃だったと思います。

あ、電気が消えてる・・・そう思った瞬間ドキドキドキと心臓が高鳴るばかりで情けない話が立ちくらみを起こしてへたり込んでしまいそうでした。

そのまま母の寝室に行けばいいものを、
どうにも体勢を立て直せずいったん自室に帰って落ち着く僕でした。
深く深呼吸し、じゃっかん落ち着きを取り戻すとソロリソロリと廊下で足音をたてないように忍び足で母の部屋へ向かう僕・・・。床板がミシミシきしんでその度に父か妹が目を覚ますのではないか?と気が気じゃありません。

それでも何とか母の寝室にたどり着く僕。脂汗をじっとりかいた手でドアのノブに手をかけます。

ギ・・・・という音とともに視界に入る母の寝室。
オレンジの薄暗い補助照明が点いていて何とか布団でよこになっている母の姿が確認できます。
起きているならドアのあく音が耳に入っているはず。
しかし母は体をうごかす気配はありません。
そろりそろりと母の枕元まで近づいても動く気配なし。寝ちゃったのかな・・・。
半ば落胆もしましたが、なぜだか不思議と安堵感を覚えた記憶があります。

やはりこの行為が異常であるという認識が性欲におぼれかける中でも理性として
あったのかもしれません。
寝ていると確認してはじめてすこし落ち着きをとりもどし、ゆっくりと母の布団を上げ
横で添い寝をする僕でした。

横向きで眠る母に自らの体を密着させていく僕・・・。
ゆっくりとパジャマのズボンをおろし母の作ったタオル地のパンツの上にペニスをあてがいました。

すると寝ているはずの母がくるりとこちらを振り返り
「今は母さんが相手してあげるけど、いつまでも甘えてちゃ駄目よ」
と言って笑いながら僕の頭をなでました。
「か、母さん・・・」そう言うと僕は母の体にのしかかり正常位のかたちでタオル地のパンツにペニスを擦り付けていったのです。

母の体にしがみつき、何度も何度もペニスを擦り付ける僕・・・。
母も僕を射精に誘おうと献身的に腰を動かしてくれました。
あまりの興奮状態で射精に至るまで一分ももたず、いきなりビュウビュウとそのタオル地のパンツの上に白濁色の液体をはき出していきました。
快感から解放されると再び沸き上がる後悔と自責の念・・・・。
またやってしまったと思うと悲しくなり嗚咽を漏らして泣く僕でした。

「ごめんねぇ、母さんが父さんに虐められてばかりいるから変な気持ちになっちゃったのよね?」
母はそう言うと射精してぐったりする僕を抱き寄せ背中をさすって慰めるのでした。

そこまでくると一気に最後までいきつくのは時間の問題と思われるかもしれませんが、
実際のところそうなったのは随分あとの事です。
それというのも僕自身はその行為だけで十分満足でしたし、いくら何でもそれは絶対にしてはいけない領域であると自覚していたのも確かです。

とにかく小学校を卒業し、中二になるまで長い間その艶めかしい行為だけで満足していました。
中学に入学するとバスケ部に所属していた事もあるのかもしれませんが、ぐんぐん身長が伸び始め夏頃には既に180cm近くになっていたと記憶しています。

その頃になるとまるで本当の恋人同士の夜の営みのように組んず解れつの肉弾戦となり
僕の求めに比例して母も求めてくるようになりました。
一番多かったのが対面座位の形で互いの下半身を擦りつけ合うというものでした。

お互いに顔を見つめ合いながら腰をグラインドすると互いに気持ちが盛り上がってとってもうっとりするほど気持ちいいのです。変態と言われるかもしれませんが事実のところそうでした。

四つん這いにさせて後ろから突くまねごとのような事もしたりしました。
母は必死に声を漏らさないように手を口にあてがって耐えているようでしたが、それでも時折
「ん!ん!ん!ぐ!」というような声を時折漏らし、
稀に感極まって「ああ!」と思わず声を出す事がありました。

父や妹に気づかれてはいけないと思いながらも、母が大きな声を出してしまった時むしょうに勇ましいような、やった!という気持ちになったのを思い出します。
   
 余談ですが母と行為にふけっていた時ふいに父がノックもせずに入ってきた事がありました。
たしかまだ中学に入ってなかった頃だったのかもしれませんが、焦りました。

バレた!母ごとぶっ殺される!と思って母に覆い被さったまま身じろぎせずにじっとしていると
「ち!今日は酔ってねーよ!」と言いつつバタン!とドアを閉めてそのまま去っていきました。

どうやら父がまた母を襲うと思い僕が覆い被さったのだと勘違いしたようです。
暗がりの中だったので僕がパンツを履いてなかったのにも気づかなかったようで助かりました。

その後シラフの父がノックして入ってくる事が何度かありましたが、僕が居るのを確認するとち!と舌をうってかえっていく事が何度かあったと記憶しています。
今思い返せば、父は母を抱きにきていたのだと思います。本来父のものなのに悪いことをしました。

母を抱けなくなった父が性欲をどのように処理していたのか知ったのは中2の春のことです。
たまたま友達と川にバス釣りをしにいった時のこと、その川に連なるように遊郭というのでしょうか、
いわゆる性欲処理系の店舗が並んでいたのですが、そこに遠目に父を発見しました。

ああ真面目そうな顔して親父も男なんだな、と責めるより安堵感が先に立った事を覚えています。

僕はと言えば前述しましたように自分が快楽を感じることより母が感じる事に悦びを感じるようになり
太股を撫でると「あん!あ!あん!」と我慢できず声を漏らすという事を知ったのは恐らく中2なったばかりの事だったでしょうか。

ちなみに僕と母との暗黙の了解とでもいうのでしょうか、そのような変態行為を繰り返していたにも
かかわらず、僕は母にキスもしなければ胸を触ったりした事も一度もありません。
あ、一度もという事はないですがそれはたまたま行為の最中に触れてしまったという事で故意にそうした事はないということです。

駄目と直接言われたことはないですが、何となく暗黙の了解でそういった越えてはいけない一線を確保してたのは確かです。

胸が駄目なのに何で太股は良いのかと問われると返答に困るのですが、意図してそうしたという
より何かの流れの中で随分時間をかけてその暗黙の了解が曖昧なものになっていったという事なのかなと
今振り返ってみると思います。

とにかく母が太股をかき回すように撫でると苦悶の表情を浮かべ「あん!はぁん!」と言って僕に縋り付いてくるのがうれしくて、それをするのが自分のペニスを押しつけるよ楽しみになっていったことははっきり覚えています。

僕は前にも言いました通りバスケ部に所属していたのですが、僕の身長が当時ちょうど180cmで
それがレギュラーの平均身長でもありました。

ど田舎町の公立中学クラブにしては異例の長身集団だったのです。異例の大型選手構成と
元々県自体のレベルが高くなかったという両方の理由で我が中学は何と県大会で優勝してしまいます。

ど田舎という事もありそれが小さな田舎町のニュースになり校舎には祝!○○中学バスケ部県大会優勝の大単幕が掲げられました。
父の悦びようは凄まじく誰彼につけ親戚中に電話をかけまくる始末で代われと言われるのが恥ずかしくて逃げ回ったのを今でも覚えています。

全国大会を控え緊張感のある練習を控えていた夜。
ストレスが溜まっていたのでしょうか、いつもは太股を撫でて喘ぎ声を聞くだけで満足だったのがそれでは飽きたらず母を抱き寄せうなじに甘く唇で愛撫したのです。

「はぁん!けんちゃん(僕の名)あん!ああ!」一際大きな声を出す母。
慌てて口を手で耐える母。よほど興奮したのでしょうかハアハアと背中で息をしていた記憶があります。

僕は太股を撫でていた手をそのまま股間のタオル地の上に這わしていきました。
「ん!んぐ!ん!ん〜!」と、手を必死に覆って消音させながら叫ぶ母。
僕は構わず母の一番大事な部分と思われる箇所を中指でグリ・・・とタオル地ごと押し込んでいきます。

「ぐはっ!」と手と口の間の空気で耐えきれず思わず咳き込むように声を出す母。
練習での苛々を吐き出すように僕はギュッギュッギュッギュと指に力を入れていきました。

「あぐ!」と声を漏らし体を緊張させ強張らせる母。
指の力を抜くと「あふぅ」と言って前のめりに突っ伏してしまいました。
オレンジの補助照明の中、髪を乱して背中で荒い息をつく母を見て満足した僕は、とりもなおさず日中の苛々を発散させた事で満足し勃起したペニスもそもままに自室に戻ろうとした時の事です。

もぞもぞと母は振り向くと僕には目を合わせず申し訳ないような切ないような表情で俯きました。
「ん・・・ん・・・ん・・・ん・・」息なのか声なのか分からない音を発する母。
ちょっと異常を感じた僕はちょっとやりすぎて、あそこを傷めたしまったのかなと心配になり
母の表情を伺う僕。怒られるのだろうか?そう思った記憶があります。

すると、もぞもぞとタオル地のパンツに手をかけ、パジャマごと下に降ろしていったのです。
「ん・・・ん・・・ん・・・ん・・」
という声を定期的に漏らしながら。

ゆるゆるとパジャマを脱ぐと薄ら明かりの中に照らし出される母の下半身。
ムッチリとした肉をたずさえその両足の付け根には海苔を貼り付けたような漆黒地帯が見えました。

「ん・・・ん・・・ん・・・ん・・」
相変わらず声を漏らしながら俯き加減に僕の方へ擦り寄る母。
怖いような気持ちと期待で爆発するような気持ちが交錯します。
僕は気圧されたような後ろに仰け反りました。
すると母は僕の体の上を這い上がるように身を寄せ、僕の胸元に顔を着けると
まだ「ん・・・ん・・」という声を発しながら僕の腹の上に跨ったのです。

そして下腹部に自らの腰を擦りつけいつものように腰をグラインドさせていきました。
いつもと違うのは母が下半身に何も纏っていない事だけ。

入り口に遮る物が何もなく、擦りつけられた僕の下腹部はみるみる母が分泌した粘液で
ジットリと湿っていきました。
母さん濡れてるんだ・・・。そう思うと猛烈に興奮したのを思い出します。

恐らくスマタまがいの行為を繰り返している時から塗れてるんだろうとは思っていましたが、
こうして現実に濡れていることを確認した衝撃というのはいままでとは桁違いのものでした。
母はこの先どうするつもりなんだろう・・・この場に及んでも興奮で正常に機能せず
真意を測りかねる僕でした。

「ん!んん!んんん!」せっぱ詰まったような声を発っしはじめる母。
僕の肩に手を着くとゴシゴシと素股行為を繰り返す母。
上向きになった僕のペニスの上を母の割れ目が素通りしていきます。
僕の胸に顔をつける母の表情は困ったような苦しいような複雑な表情で、その表情から母の求める

ところが何なのか経験値の少ない僕には分かりませんでした。
パジャマの胸元の隙間から豊かな胸の谷間が見えます。
ひとしきり求愛行為を繰り返す母の動きが急に止まり、ハアハアハアと息を整えているのか
荒い息を何度も吐いているのが分かります。
その生暖かい吐息が胸にあたりくすぐったくもありました。

ぐっと僕の肩にかけた母の手に力が入ります。
するとゆっくり母の腰が浮き上がり、僕と母の下半身に隙間ができました。
母の分泌した粘液で湿った部分が空気に晒されヒンヤリした感覚が伝わってきます。
おもむろに母は僕のペニスを摘み上げると根本を支え直立させました。
これから自らしようとしている不道徳な行為を恥じているのかあくまで僕と目を合わせず
横を向いたまま、ゆっくりゆっくりそこに腰を下ろしていきました。

僕のペニスがぬるぬるとした生暖かい感覚に包まれていくのが分かりました。
初めての女の中の感じ、極度の興奮で射精しそうになるのをシーツを掴んで必死に耐えたのを覚えています。
母を妊娠させては絶対にいけないという事ぐらいはいくら中2の僕でも分かっていましたから。

僕にのし掛かる母は手を噛み苦悶の表情を浮かべながら必死に声を漏らすのを堪えているようでした。
それでも最奥に達したとき「んぐはぁ!」と声を漏らし体を仰け反らせる母。
すると豊かな乳房の形がパジャマ越しに浮き上がります。

母自らが暗黙の約束を破ったいじょう僕が守らなければならないいわれもありません。
僕は母の胸元のボタンに手をかけ一つ一つ外していきました。
ボタンが外され遮る布がなくなるとはだけたパジャマから豊満な乳房がゆさっという形で
二つ露わになりました。オレンジの補助照明の薄明かりの中、その乳房の中心の3センチぐらいの黒点が目に入りました。
母はその片方を手にとると僕の口元へ近づけました。

要求通りにそれを口に含む僕。
かつては授乳の時にさんざんお世話になったそれを違った意味で含んでいる・・・。
何だかとても不思議な気持ちになったのを思い出します。
ボツボツとした母の乳輪を舌先でなめてみました。
「あん!あ!あ!」母の甘えたような喘ぎ声が堪えきれずに漏れました。

ゆっくりゆっくり揺れ始める母の腰。
そのぬるぬるとした生暖かい肉が僕のペニスに絡み着きニチャニチャと音をたてていたのが、とても卑猥でセクシーな感覚にさせれ衝撃だった記憶があります。

「はぁん!あん!あ!あん!あ!」
母の腰の動きが早まるにつれ母の声が大きくなっていきます。
僕はといえば今にも射精してしまいそうで腰を動かすどころではありませんでした。
騎乗位なので自ら抜く事もできませんし、それこそシーツを握りしめて堪えるしか術はありません。

そんな僕の気持ちなど知るよしもなく闇雲に腰を振り続ける母。
「ああん!好きよ健ちゃん(僕の名)好き好き大好き・・・」
感極まったかのようにそう言うとさっきまで目をそらしていた母は猛烈な僕にキスをしてきたのです。

いまにも射精しそうな事と母があまりに大きな声を出すので妹や父が起き出すのではないかという気持ちで
僕は頭がおかしくなりそうでした。
も、もう駄目だ・・・本当に出そうだ、やばい・・・。

僕はペニスを母の中から抜こうと母の尻を掴み持ち上げようとしました。
しかしいくら母が小柄な女性だといっても全体重をペニスにかけられては簡単には抜けるわけがありません。
「か、母さん!だ、駄目だ出る!お、俺出るから・・・もう出ちゃうから!駄目だって!」
抜くよう必死に母に言い聞かせます。

しかし母はその声を遮るように再び唇を重ねてきてあまつさ舌を咥内奥まで挿入してきたのです。
母さんを妊娠させてしまう!やばい!本当にやばい!もがく僕。

しかし分かっているのかいないのか母は更に僕のペニスを奥に取り込もうとグリグリと入り口を擦りつけてきます。
やや濃いめの母の陰毛がチリチリとくすぐるのが分かりました。

ドクン!ドクドク・・・ついにぎりぎりまで締めていた尿道が決壊し母の子宮に僕の精液が注ぎ込まれていきます。
生暖かい母の中は実によく締まり女性のあそこが男の子種を迎え入れる
ためにあんなに気持ちよくできているのだと初めてしった瞬間でもありました。

とにかく射精してしまったからには今更どうしようもなく最後の一滴まで搾り取られると僕はぐったりと布団の上に脱力していきました。

「けんちゃん、とうとうしちゃたね、でも母さん後悔してないわ・・・」
母はそう言うとまるで恋人に抱かれたように僕の腕を枕代わりにしてトロンとした目をしています。
「で、でも俺、母さんの中に出しちゃったけど・・・」と僕。
「ふふ、そんな事けんちゃんが気にしなくていいのよ」そう言うと愛おしそうに僕の胸を撫でました。

いわゆる安全な日というやつなのだろうか・・・そうは言っても僕は少し不安でした。
「けんちゃんは母さんとしたこと後悔してるの?」
見透かしたように母は僕に囁きかけます。
「ううん」と僕。
「気持ちよかったでしょ?」と言って僕の胸を撫で続ける母。
「うん」と僕。
「すごいわねぇ、けんちゃんいっぱいトレーニングしてるから筋肉こんな・・・」
そう言うと母は割れた腹筋の辺りを何度も撫でました。

「くすぐったいよ」と言って僕は背中を向けました。
「ふふ、今日はもう寝ようか」そう言うと母は僕の背中にチュとキスをしてパジャマを身につけはじまます。
僕もパジャマを着ると自分の部屋へ帰りました。

そうなるともう母がこしらえたタオル地パンツぶ用などありません。
父と妹が寝静まるとお互いに裸になって真似事ではない本当のセックスをするようになりました。

毎日毎日セックスしましたし、1日に1回だけという事は殆どなく3回4回ということもざらでした。

身長150センチジャスト程度の母は僕に抱かれるとすっぽり覆い尽くされます。
その行為を母は「何かシェパードとマルチーズの交尾みたい」と言った事があります。
父がでかけ妹が友達の所などに遊びにいって二人だけになると昼間からでもセックスしてましたから当時の僕と母はまるでセックス中毒にかかっていたとしか思えません。

それこそ台所でもしましたし、僕の部屋で机に手を着かせてした事もありますし、夏場は一緒に
シャワーを浴びてそのままセックスという事もしばしばありました。

しかしそんな狂った関係がいつまでも誰にも気づかれない訳がありません。
僕がクラブ活動をして帰ってきた時のことです。
いつもは台所か居間にいるはずの母の姿が見あたりません。
どこに居るのだろうと思い、母の寝室を開けると母がしゃがみこんで泣きじゃくっていました。

「どうした?親父か?」
また親父に殴られたのかと思い僕がいきり立つと、母はぶんぶんとかぶりをふりました。
「じゃあどうしたんだよ?」
母の尋常ではない様子に更に追求する僕。
「ちぃちゃん(僕の妹)に言われちゃったの」
そう言うとわっと泣き崩れる母。

そのまま何も言わず泣き伏す母にこれいじょう何も言えず僕は母の部屋を後にし、
妹の部屋に向かいました。
ドアを開けると妹は何事もなかったかのように机に向かって宿題をしているようでした。
「おい、母さん泣いてるけどお前何か言った?」と僕。

「うん、わたし兄ちゃんとお母さんが何をしてるか知ってるよって言ったの」
その言葉を聞いた時の僕の心境はとても言葉にできません。しかし理解はしてもらえると思います。
とりつくろう言葉も浮かばぬまま黙っていると
「やめなって言ったの、お母さんとお兄ちゃんがそんな事しちゃいけないよって言ったの」と妹。

気づけば妹も少5。もう性教育をほどこされる歳になっていたのです。
妹がどこで僕らの行為に気づいたのかは分かりません。
最初にお馬さんごっこと偽った頃から怪しいと思っていて、それで性教育を受けて
二人がそういう事をしてたんだと気づいたのかもしれませんし、夜な夜な母の部屋から
漏れる喘ぎ後で気づいたのかもしれません。
しかしそんな事聞けるわけもなく、僕と母の関係はあっけなく終わる事になったのです。

ただ気づかれて間もなく母の妊娠が発覚したのには焦りました。
母は僕の子じゃないから大丈夫よ、と言うのですがタイミング的には丁度合うのです。
しかし父が母の妊娠について疑問を投げかける事がなかったという事は僕が知らないだけで母と父はどこかで情交を持っていたという事なのでしょう。

それはかなり後まで僕の中に引っかかりとして残っていて、父が母と関係をもてる時と言ったら昼間しかなく、そうなると郵便局員である父が昼休みに帰って母を抱いていたという事なかもしれないという事で僕の中では決着をみています。

妹は妹でその件についてはまったく疑問を持っている風はなく、新たに誕生した自分の妹を一番に歓迎し大人になった今でも二人でよく出かけたりしています。
一応僕の話はこれで終わりです。













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