母の知り合いの母娘がDV夫から逃げてきた

時刻(time):2020-09-21 08:30源泉(Origin):net 著者(author):admin
夏のある晩の事。 母親の知り合いで、車で5分ほどの所に住んでいた当時30代半ばの奥さんが、旦那さんの暴力から逃げてきた。 当時小学校6年生の娘さんも連れていて、母親は急き
夏のある晩の事。
母親の知り合いで、車で5分ほどの所に住んでいた当時30代半ばの奥さんが、旦那さんの暴力から逃げてきた。
当時小学校6年生の娘さんも連れていて、母親は急きょ一部屋を与えてかくまった。
俺は当時大学1年だった。
親子に宛がった部屋は、俺の部屋とは襖を一枚隔てただけの和室で、俺は母親の着替えを覗いたり、二人がいない隙に部屋に入って、下着を借りてネタにしたりとしていた。



覗いて見れば、母親にも娘にも体にいくつかの青あざがあり、痛々しかったが、それでも気づかずに俺の方に尻を向けて、警戒心なく着替えたりしている姿は堪らなかった。

ある時、妹たちが合宿だかで家を留守にしているタイミングで、うちの両親含めて、向こうの旦那と話し合いをしてくると言う事になり、家には俺と娘さんの2人だけだった。

始めはテレビゲームをしたり、勉強を教えてあげたりしていたが、夕飯の時間になり、2人で作ってみた。
話し合いは結構こじれたらしく、娘さんが俺の部屋で寝始めてしまっても帰ってくる様子はなかった。
念のため、こちらから父親に連絡を取っても、電話すら取らず、折り返しもなかった。

本当は母親が良かったのだが、とりあえず俺は目の前で警戒心なくパジャマ姿で寝ている娘に手を出してみることにしてみた。

起きたら、少し脅せば良いやと軽い考えだった。
焦らずに、パジャマの上着のボタンを外していくと、膨らみ始めていた胸が露わになった。
乳首を少し指で転がしたが、少しうなっていたが、起きる様子はなかった。

床で寝ていたから、ベッドにお姫様抱っこで持ち上げようとしながら、そのついでに、ズボンとパンツを太ももの
辺りまで下した。

ベッドに寝かせてから、丁寧に片足ずつを脱がして、足を広げてから、少し観察をした。
まだ毛も生えていなかった部分に舌を這わせると、一瞬起きそうな素振りを見せた。
構わずに、娘の乳首を指で転がしながら、股間を舐めていると、娘は起きた。
驚いたような表情で、こちらを寝ぼけ眼で見ていた。

「お父さんの所に戻りたい?」と聞くと、頭を横に振る娘に、
「だったら、お兄ちゃんの言う事聞いてもらえるかな?」と言うと、娘は無言で頷いた。
「みんなには、内緒だよ。」と言うと、また娘は頷いた。

結局、その日は娘の体を舐め回している間に、親たちが帰ってきてしまい、慌ててパジャマを着せて、部屋に帰す際に、
「またするんだよ。」と言って、頷きながら、娘は襖の向こうに入った。

両親の話だと、暴力が原因による離婚の話し合いに発展し、すぐに終わらずに、数時間喫茶店にいて、相手の屁理屈を聞いていたと、あまりにもイライラしたから、3人で帰りがてら飲んできたと言われた。

離婚の話し合いが終わるまで、うちに滞在し、娘さんも学校にもうちから通う事になるそうだ。
少し離れているのと、旦那が学校に来られても困るからと言う事で、車での送り迎えをうちの母親がすることになった。

時期は子供たちからしたら夏休みで、娘の母親は昼間は仕事を探しに出掛けた。
うちの父が紹介しようとしたが、これ以上の迷惑は掛けられないと断ったみたいだ。
その分、俺は妹たちが帰ってきても、娘を部屋に呼んだ。

誰かが家にいる時は全裸にすることは無かったが、娘のスカートもしくは短パンの中はノーパンだった。
娘は、何の抵抗なく俺の行為を受け入れていたので、妹やうちの母親も
「お兄ちゃんが好きなのね~」と笑いながら言うくらいだった。

その夏休み中に、フェラを教えた。
玉までちゃんと舌を這わせることも教えた。

娘はそれすらも抵抗せずに、むしろ、たまに教えを乞うような目線を俺に送ってきていた。
夏休みが終わる頃には、俺のを飲み込むことが出来るようになっていた。
ちょうどその頃には、娘の母親の仕事が決まり、一応は定時で帰ってきたが、結構飲み会が多かった会社らしく、新人と言う事で娘の母親は付き合わされていたようで、週1くらいのペースでかなり酔って帰ってくることがあった。
その時は、風呂に入らずに、ストッキングを脱いだだけで服のまま寝てしまっている事もあった。

俺は少し冒険をしてみようと思い、そんな母親の横の娘の布団に入り、気付いた娘に自分でパジャマもパンツも脱がせてみた。
さらには、フェラまでさせて、母親の酒臭い息を浴びながら、寝顔を見て、娘の口に出してみた。
正直、それは癖になった。

ある時、母親の方にも手を出したくなり、酔っていた母親の服を娘に言って、脱がせてみた。
「ちゃんとパジャマに着替えさせないとダメだよ。」と言い聞かせると、娘は言うとおりに母親の服を脱がし始めた。

途中で、母親が起きたと言うか、目をうっすらと開けたが、俺には気づかずに、娘に
「パジャマに着替えて」と言われると、
「ありがとう・・〇×■〇」と寝言のように言いながら、また眠ってしまっていた。

健気な娘は一生懸命に母親をパン一にすると、パジャマを着せようとしていた。
俺はそれをもちろん制する。

母親のパンツはかなりずれて、毛がはみ出ていた。
少し開いていた母親の足をさらに広げて、俺はそこに入り込んで、小さなLEDライトを母親の股間に当てながら、パンツをずらした。

少し筋に指を這わせると、母親の体は動いたが、起きる様子はなかった。
娘を傍に呼んで、ここから出てきたんだよと、軽く性教育をしてみた。

娘も隣に全裸で寝かせて、俺に向けて足を開かせて、見比べてみた。
母親の乳首に少し舌先で突いてみたが、起きる様子はなく、何かうわ言を言っていただけだった。

そして、娘の目の前で母親の乳首にチンコを擦り付けてみた。
娘は興味津々の目で俺の行為を見ていた。

そして、母親を濡らし、俺の準備を娘にさせると、娘の前で母親の中に沈めてみた。
マグロではあったが、かろうじて声を上げていた。

証拠は残さないように、娘に飲んでもらった。

娘は飲み終えると、母親のパジャマを着せていた。
そんな事を冬休みが始まる前に、4回ほどしてみた。

娘はSEXに興味を持ち始めていて、冬休みが始まり、俺の部屋でいつものように可愛がっている時に、
「SEXしてみたい」と言ってきた。

それは、さすがに俺も引いて、「中学に入ったらね」と一応断った。
年末に家族+親子で団欒していた時の事、会社にも慣れたようで、うちの両親にアパートを探すような話をし始めた。

揃いも揃って、うちの両親は反対し、
「これから母子家庭でお金も掛かるんだから、ちゃんとするまでは、面倒を見る」と言って、引かなかった。

その話し合いを途中まで聞いていて、俺は娘さんを気遣い、外に連れ出すことにした。
両親も目で俺の行動を了承してくれ、とりあえず車で家を出たものの、行く宛のないドライブが始まった。

年末で、道は混んでるし、どこに行っても混んでいたから、とりあえず車が止められる少し家から離れた公園へと行った。
娘さんはジーンズを履いていたが、車を止めると、後部座席に移動して、下を靴下以外脱がせた。

そこでも、娘さんはSEXをしたがったが、キスをしてやると、少し落ち着いた。
SEXは好きな人とするものだと言うと、娘さんは俺の事が好きだからと言い張っていた。
「じゃあ、何でも言う事聞けるか?」と聞いてみると、娘さんは何でも聞くと意地になっていて、少しからかってみることにした。

スポーツブラとパンツ以外の服を着せると、車から降りて、公園を歩いた。
適当に人が来なそうな所で、
「脱いで」と言ってみた。

始めは抵抗を見せたものの、「何でも言う事聞くんでしょ?」と言うと、渋々と脱いでいった。
後向きにさせて、お尻の穴を両手で広げるようにもさせてみた。

ジョギングしている人はたまに見かけたが、向こうはこちらには気づいていなかった。
トイレに行きたくなった娘にその場でしゃがんで用を足させてもみた。

そして、そのままフェラをさせたが、寒さで立ちが悪かったから、時間が掛かってしまった。
そこまでして、服を再び着せて、家に帰った。

結局は娘が俺に折れた様に、母親もうちの両親の言い分に折れたようだった。
母親の目には涙があったが、俺は楽しみを奪われずに内心喜んでいた。
正月は娘さんを連れて、実家に帰っていたようだった。

3が日を終えた、4日に母親のご両親が親子を送りがてら、うちにわざわざ挨拶に来た。
車だと通常でも片道3時間以上掛かると思う。

情に厚いうちの両親はその日、母親のご両親をねぎらうかのように、うちに泊めた。
まさか、その息子が孫にSEXをせがまれているとは、これっぽちも思っていなかったと思う。

ご両親が帰った後で、うちの女どもと母親とで買い物に出掛けて行った。
娘は俺の部屋にいて、相変わらずだった。

しばらく経ってから、うちの両親と俺と母親とで家で飲んでいた。
娘は妹たちの部屋で遊んだあとに寝て、それを妹の1人が俺らに言いに来ても、まだ酒を飲んでいた。

話の中で冗談で、俺と母親がくっつけば良いと言う話が出た。
俺は別に意味でくっつきたかったのだが、母親は
「こんなオバサンどうの」と言っていた。

お開きになり、俺は母親を強引に部屋に連れ込んで、ベッドに押し倒した。
声は小声ながら、抵抗は見せたものの、俺が母親の服の中に手をすべり込ませると、徐々に抵抗が弱まっていった。

1回だけという約束で、その晩、母親は俺に抱かれた。
当時猿だった俺が、1回で済むはずはない事は、暗黙の了解だと思った。

母親もまんざらでも無さそうで、学校帰りに、途中まで母親に車で迎えに来てもらい、旦那が何をしているか分からないからと、ホテルには行かずに外でするようになった。

母親は娘が俺に自分同様おねだりしているなんて、考えもしなかったと思う。
それから、程なく娘さんが小学校を卒業し、春休みを迎えると、親子は中学進学の準備で急に忙しくなった。

幸いにも通う中学は小学校よりも近くなる。
そして、入学式を終えると、娘が自分から俺の部屋に来た。
愛撫はしたものの、宥めて、部屋に帰すのが精いっぱいだった。

ただでさえ、母親も今までのうっ憤を晴らすためか、俺は母親のおねだりにも答えていたし、ましてや基本的にはからかっているだけで、ロリではない。

それでも、定期試験と言うものが中学に入るとあり、妹たちは受験勉強で忙しく、結果的に娘さんは俺の部屋に毎晩の来るという連鎖がしばらくあった。

そして、試験で良い点が取れたら、終わったらSEXしようという約束をさせられてしまった。
そして、1年前に比べたら、毛も生えたし、膨らみも大きくはなっていたが、夏休み前の休みの期間に、家に二人きりの時にしてしまった。

母親とはしても全く罪悪感は無かったのに、娘としてしまった後で、俺は罪悪感があった。
それでも、何度もしていると消えていった。

中学生と言うのは不思議なもので、あっという間に大人びていくものだと思った。
夏休みが中ごろに入ると、娘はすっかり女の表情を見せるようになっていた。

むしろ、母親よりも娘の方が本命(?)になっていた。
夏休みが終わる直前に、離婚が成立し、さらにしばらく経ってから、うちの近くのアパートが見つかった。

それでも、娘さんは学校帰りにアパートに帰るよりもうちに来ることが多く、俺の部屋にいる事も多かった。

離婚が成立した母親は堂々と俺とホテルへと行ったが、しばらく外でしていたせいか、ホテルよりも外の方が興奮しているような気がした。

今では夢のような話だが、そんな関係が母親とは、母親が会社の同僚のバツイチさんと付き合うまで続いた。
娘さんは、その後も続いて、俺が就職し、地元を離れるまで、続いたが、その後、大学をわざわざ俺の住んでいた方に進学して来て、うちの母親から聞いたと言う俺の部屋まで押しかけてきた。

だが、相手は大学生だし、ちゃんと同世代と付き合う事を説教したら、
「あの時と一緒だ」と逆に笑われてしまった。

そして、まさか大学を卒業して直後に、プロポーズをしてきた。
まさかの展開に、驚いて、娘を連れて、実家に帰った。

うちの両親に反対してもらう為だったが、うちの両親は賛成してしまい、途中から呼び出された娘の母親と新しい父親までも、賛成してしまった。

娘は俺の隣で勝ち誇ったような表情をし「就職活動しなくて良かった」と言われた。
義母との関係はもちろん妻には言えずに、すでに俺は子供3人と墓場まで持って行かなければならない秘密を抱えて、 幸せに過ごしてしまっている。

ちなみに、義母とは結婚式を挙げる前に、一度その事で話したことがあった。
冗談で
「相性が良かったから、もう一回したいかも」と言われたが、すぐに
「忘れましょ」と言われた。













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