『あなた、ネクタイ曲がってるよ。はい、これでOK』
香織は、夫の孝治のネクタイを直しながら微笑みかける。
「ありがとう。今日はそんなに遅くならないはずだから、どこか食べに行こうか?」
孝治は、最近仕事が忙しくて帰りの遅い日が続いていたことを気にして、そんな事を言う。
『本当に? 嬉しい! じゃあ、久しぶりにフォーでも食べに行く?』
香織は、嬉しそうな顔で孝治に提案した。結婚する前からよく食べに行っていたアジアンバルの事だ。ベトナム、タイ、インドなどの料理が食べられる店で、ほとんどローカライズされていない味が評判の店だ。クセがある味だが、ハマると通ってしまうようになる。
「おっ、良いね。じゃあ、行ってくるよ」
そう言って、孝治は香織に軽いキスをした。香織は、キスをしながら胸が痛んでいた。今日は、中学の時からの親友の奈緒子とランチをする。でも、それは普通のランチではない。いわゆる、ランチ合コンというヤツだ。
もうすぐ30歳という年齢が見えてきて、結婚に焦り始めた奈緒子が、頻繁にランチ合コンに参加するようになってもう半年ほど経つ。初めは、すでに既婚の香織を誘うことなどなかったのだが、合コンでなかなか上手くカップリング出来ないことに焦り、アシストをしてもらうことを目的に香織を誘うようになった。
すでに香織は3回参加して、その度に奈緒子が気に入った男性とのカップリングの手伝いをした。もちろん、香織も初めは誘いを断った。しかし、結婚に焦る奈緒子の頼みを断れず、ずるずると続いているのが現状だ。
真っ昼間から合コンに来る男性など、ろくなものではないと思っていた香織だったが、ほとんどが経営者や医者や弁護士で、どうやってセッティングをしているのだろう? と、不思議に思うほどだった。
もちろん、合コン中に人妻ということなど言っていない香織のことを誘う男性はいる。と言うよりも、童顔で可愛らしく、そのくせFカップのバストをもつ香織は、合コンではいつも一番人気になっている。奈緒子は、正直それが気にくわないと思っているのだが、背に腹は代えられず、香織に頭を下げ続けている。
(あなた、ごめんなさい……)
香織は心の中で夫に謝りながら、出かける準備を始めた。なるべく目立たないように、薄目のメイクに地味な格好、もちろん、下着はいつも身につけている着古したモノだ。でも、それが逆に男性の人気を集めていることに香織は気がついていない。
『こんなもんかな?』
髪をセットして準備を終えると、香織は独り言を言った。それを見ていたようなタイミングで、奈緒子からメッセージが届いた。今日はよろしくということと、香織も楽しんでねという内容のメッセージだ。
『楽しめるわけないじゃん。もう……。早く結婚してよね』
香織は、ついつい言葉が口に出てしまう。独り言が多くなるのは、歳を取ったせいかな? と、思いながら、苦笑いをした。
一見ノーメイクにも見えるナチュラルメイクをした香織は、童顔で肌のきめが細かいこともあり、まるで女子大生のようだ。友人や夫には、改名して”のん”になった女優さんに似ていると言われる。香織は、あそこまで幼い顔ではないと思っているが、まんざらでもないと思ってもいる。
そして、地味なセーターを身につけているが、Fカップの胸が主張していて、まったく地味ではなくなってしまっている。巨乳にセーター……。その破壊力は、男性にしかわからないのかも知れない。
香織は奈緒子にメッセージを返すと、家を出た。夕ご飯を作らなくて良くなったことにホッとしながらも、その事が余計に夫への罪悪感を強くする。
そして、気乗りしないまま歩き始め、電車で移動をし、合コンする店の近くで奈緒子と合流すると、
『奈緒子、気合い入りすぎだって』
と、挨拶よりも先にそう言った。奈緒子は、身体のラインがはっきりわかるワンピースを着ているが、胸元もざっくりと開いているし、スカートの丈もかなり短い。おそらく、両手を挙げてバンザイするとショーツが丸見えになってしまう丈だ。
『そう? これくらいしないと、目立たないじゃん。ただでさえ、香織のおっぱいに負けてるんだから』
奈緒子は、涼しい顔で言う。その顔もかなり気合いの入ったメイクで、まつげもエクステでぱっちりしている。そんな奈緒子が香織と並ぶと、女子大生とキャバ嬢のようでギャップがすごい。
『これで最後にしてよ。奈緒子は高望みしすぎなんだよ』
香織は、本心でそう言った。合コンに参加しても、夫への罪悪感ばかりが先に立ち、楽しいと思ったこともない香織にとっては、合コン参加は苦痛でしかない。
『毎回そのつもりなんだけどねぇ〜。じゃあ、今日もよろしくね!』
奈緒子はそう言ってウィンクをした。そんな仕草が、昭和を強く意識させることを奈緒子は気がついていない。良くも悪くも、奈緒子は古いタイプの人間だ。いまだにガラケーをつかっているし、乗っている車もマニュアル車だ。香織はそんな奈緒子が好きではあるが、男受けはしないだろうなとも思っている。
今日の合コンランチは、個室のエスニックレストランだ。香織は、今晩もアジアンバルに行くのになと思い、同時に夫への罪悪感を感じた。
今日のメンツは、男女4人ずつだった。
女性の2人は奈緒子の会社の関係の女性で、奈緒子と同じように気合いの入った格好をしている
男性は、30代半ばくらいの髪の長い男性、40代前半くらいの少し頭髪が寂しい男性、同じく40代前半くらいの見るからにチャラい茶髪、そして、場違いに若い学生のような男性がいた。他の3人の男性が高そうな腕時計をしていたり、ブレスレットやネックレスをしているのとは対照的に、見るからに貧乏学生というような見た目だ。
そして、挨拶もそこそこに乾杯が始まり、ランチ合コンという名の婚活パーティーが始まった。男性3人は美容関係の経営者で、若い男性は急に来られなくなった男性の代わりに、人数あわせで参加したそうだ。頭髪の寂しい男性の経営する店の雇われ店長とのことだ。
そんな自己紹介が終わると、奈緒子も他の2名の女性も、若い彼には目もくれずに経営者の3人に自分をアピールし始める。経営者達は香織が気になっている様子だが、奈緒子達がそれを許さない。そして、自然と香織はその若い男性と話をする感じになっていった。
それなりに盛り上がり、奈緒子も髪の長い男性と良い感じになっているようだ。香織は、それとなく奈緒子を持ち上げてアシストしながら、若い彼との会話を続けた。
「香織さんって、なんか違う感じですね。僕と一緒で人数あわせですか?」
若い彼がそんな事を言い始める。香織は、見抜かれたことに少し焦りながら、
『そんなことないわよ。どうして?』
と、少し早口で言った。
「なんか、ガッついてないっていうか、余裕ありますよね」
彼はそんな事を言う。香織は、そんなことないわよと言いながらも、少し彼のことが気になり始めていた。
よく見ると可愛らしい顔をしているし、真面目そうだ。美容師なので髪はチャラい感じになっているが、服装なんかも清潔感がある。
「香織さんって、凄く可愛い顔ですね。髪型も似合ってますよ。今度、切らせて欲しいな」
彼はそんな事を言いながら、自己紹介をした。彼はまだ25歳の若さで、店を任されているそうだ。名前は伸也で、キラキラはしていない。香織は、褒められて少し心が躍ってしまった。
これまでの合コンでも、褒められてはいた。でも、皆下心丸出しで胸ばかり見ながら褒めてくるので、香織はげんなりしていた。伸也は、真っ直ぐに香織の顔を見て話をしてくる。香織は、夫への罪悪感を感じながらも、少し楽しいと思ってしまっていた。
奈緒子にアイコンタクトされ、一緒にトイレに行くと、
『香織も良い感じじゃない。たまには楽しんだら?』
と、ニヤけた顔で言ってくる。香織は顔を真っ赤にしながら、
『そんなわけないじゃん。奈緒子はどうなの? 良い感じなの?』
と、話を変えた。
『う〜ん。いいんだけど、ちょっとルックスがね。もうちょっとイケメンだといいんだけどなぁ』
奈緒子は、涼しい顔で言う。焦っている割にのんきというか、危機感が感じられない。香織は、少し苛立ちながらも、
『なんで? 今までで一番格好いいと思うよ。けっこう沢山お店やってるって言ってたじゃん。チャンスだよ!』
と、けしかけた。香織はそんな風に言いながらも、今回もダメだろうなと予感していた。
そして、ランチ合コンは終わった。香織以外は連絡先を交換しているようだが、香織はそんな事もせずに一番に店を出た。すると、
『香織さん! 絶対に来て下さいね。僕なら、もっと可愛く出来ますから!』
伸也はそう言って、店の名刺を渡してきた。香織はそれを受け取ってお礼を言った。ただ、そのタイミングで奈緒子達が出てきたので、慌ててそれをポケットにしまいこんだ。
香織は奈緒子に手を振り別れると、駅に向かって歩き始める。楽しかったなと思っている自分に気がつき、罪悪感を感じていた。そして、さっきの名刺を捨てようとポケットから取り出すと、店の連絡先の下に手書きで携帯番号とlineのidが書いてあった。香織は、手書きで書かれたメッセージがあるそれを捨てることが出来ず、ポケットに戻してしまった。
そして、帰宅して着替えると、部屋の掃除や洗濯を始めた。でも、ふと伸也のことを思い出してしまう自分に少し戸惑っていた。しかし、そうこうしているうちに、夫が帰ってきた。香織は、あわてて伸也のことを頭から追い出し、笑顔で出迎えた。
『お帰りなさい! 早かったね。お疲れ様』
香織は罪悪感で泣きそうな気持ちになりながらも、笑顔を作る。
「ただいま。じゃあ、行こうか?」
孝治は上機嫌で香織を誘う。香織は、笑顔でうなずきながら、
(あなた、ごめんなさい……。もう、これで最後にします)
と、心の中で謝っていた。
そして、2人で歩いて出かけ、久しぶりのアジアンバルで食事を始めた。香織の口数が多くなるのは、罪悪感の裏返しなのかもしれない。
「そう言えば、奈緒ちゃんだっけ? 良い人見つかったのかな?」
孝治が突然奈緒子のことを話題にしたので、香織は動揺してフォークを落としてしまった。
『どうかな? 最近連絡取ってないし、もう出来たんじゃないかな?』
香織は、とっさにウソをついてしまった。後ろめたさからの行動だが、香織は自分でも驚いていたし、自己嫌悪に陥っていた。
「そっか、会社の後輩で良いヤツがいるから、奈緒ちゃんにどうかなって思ってさ」
孝治はそんな説明をした。人の良い孝治は、色々と世話を焼くタイプだ。
『う、うん。じゃあ、聞いておくね』
香織は、口ごもりながら答えた。香織は、孝治のことをとても良い夫だと思っている。優しいし、仕事も出来る上に人望もある。ルックスはイケメンというほどではないかもしれないが、誠実そうな見た目だし、実際に誠実で真面目な性格だ。香織は、本当に幸せな結婚生活を送っていると自覚している。それだからこそ、余計に罪悪感を感じているようだ。
そして楽しい食事の時間は終わり、帰宅してそれぞれ風呂に入ると、寝室のベッドに潜り込んだ。こんな風に外食してデートを楽しんだ後、セックスをするのがありがちな流れのはずだが、孝治の方から夜のお誘いがかかることはほとんどない。昔から孝治はセックスには淡白で、せいぜい月に1回あればいい方だ。それが香織には唯一の不満だ。
香織は、今日の罪悪感を紛らわす意味もあるのか、孝治に抱きついてキスをした。孝治は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに香織のことを抱きしめて舌を絡ませていく。香織は、いつも以上に熱のこもったキスをしながら、罪悪感で胸が痛いと感じていた。そして、罪悪感を感じると同時に、伸也の人なつっこい笑顔と、真っ直ぐに見つめてくる瞳を思い出してしまった。
香織は、それを振り払うように夢中で孝治の舌を吸い、自らの舌を絡ませていった……。
「どうしたの? 今日は激しいんじゃない?」
孝治は、あれだけ激しいキスをされたのに、さして興奮した様子もなくそんな感想を言った。性欲がないのではないか? そんな風に思ってしまうほどの淡白さだ。
『だって、久しぶりのデートだったから……。今日は、疲れてる?』
香織は、わざと胸を押しつけるようにしながらそんな風に言って誘った。
「うん。ごめんね、今日はちょっと疲れてるかな。それに、明日もちょっと会社に行かないといけないし」
孝治は、あっさりと香織の誘いをはねつけた。
『えっ? そうなの? お休みなのに大変だね』
香織はそんな話は聞かされていなかったので、落胆してしまった。休みの日に、孝治と一緒に出かけたりゴロゴロしたりするのが香織の楽しみだ。それがあっさりと消えてしまい、香織は泣きそうな気持になっていた。そして、無性に抱いて欲しいという気持になっていた。
でも、孝治は香織に背を向けると、すぐに規則正しい寝息を立て始めてしまう。よほど疲れているのか、あっという間の出来事だ。香織は寂しいと思いながらも、こんなに疲れているのに外食に連れて行ってくれたんだと思うようにした。
香織は、目を閉じて少しでも早く眠りにつこうとした。でも、そう思えば思うほど眠れない。孝治とのキスで火がついた身体は、火照るばかりでおさまる気配もない。
香織は、背を向けて寝ている孝治を恨めしそうに見つめながら、一人悶々としていた。そして、そっとパジャマのズボンの中に手を差し込み、ショーツの上からクリトリスをまさぐり始めた。
(あなた、ごめんなさい)