幼少期に、父の転勤で田舎に引っ越すことになりました。
そこの近所に塾があって、小学校を卒業するまでの数年間通うことになった。
田舎の小さな塾って感じの所だったんだけど、元々いた先生は還暦で引退。
その孫娘が継ぐ形で先生を始めたところへ、ちょうど俺が転がり込んだわけだ。
若いというか、まんま女子大生って感じの女教師。
みんな友達みたいに接してた。
でも、やる事やってない日は結構怒られた。
授業でやる問題は全部時間制限があって、ランダムに誰かを指名。
「30秒前~、29、28」と女教師がカウントを減らしていって、答えが間に合わないと後で尻を叩かれた。
もちろん答えが違っていても同じ。
まぁそれはある意味いい緊張感を生んでくれて勉強には集中できた。
問題は俺が先生に気に入られ過ぎてしまい、罰がエスカレートしてきた事だった。
ある日、宿題を忘れた俺が1人残され、先生と向かい合って怒られていた。
学校の教室と違い、カーペット敷きに直座りして長机を使っていたからかなり近い。
息遣いまで聞こえる近距離で説教を聞かされる羽目になった。
「宿題してくる気はないの?」
先生が怒るのも無理はない。
俺は説教と数発の尻叩きにはすっかり慣れて、先生がもうちょい真剣に怒ってくるまでこのまま忘れ続けてやろうと思ってた。
そうしたら先生、「キミには特別な罰が必要だね」って羽織ってたジャケット脱いで長机を横にずらした。
「苦しいのと痛いの、どっちする?」
俺は内心ビビっていたが、言うのも恥ずかしくてだんまり。
すると、「答えないなら両方だね」と俺の隣に座る先生。
何をするかと思ったら・・・。
俺の首の後ろへ片腕を回し、もう片方の腕で後頭部を引き寄せて、なんと先生は自分のおっぱいで窒息させようとしてきたのだ。
「どう?苦しいでしょ」
古い記憶だがサイズはかなりあったと思う。
シャツの上からでも埋もれてしまうぐらい張ったおっぱいに押しつけられては数秒間の息継ぎの繰り返し。
俺が「苦しい」と言おうとすると先生は、「まだダメ」と大きな胸で口ごと塞いでくる。
それは先生から、「もう苦しいのイヤ?お尻ペンペンの方がいい?」と聞いてくれるまでひたすら続いた。
息苦しさと先生の良い匂いでおかしくなりそうだった俺は、「はい」と答えるしかない。
そしたら、「特別な罰だから、今日はお尻丸出しだよ」と言われ、カーペットに這いつくばってズボンを勢いよく下ろされた。
下ろす時、怒っているはずの先生が楽しそうに、「よっ」と口にしたのを覚えている。
「何回にしよっかなぁ~」
そう呟きながら、先生の手はもうしっかりと俺の尻を叩いていた。
パチン、パチン情けない音を立てている間にも先生が話し掛けてくる。
「ちょっとやそっとじゃ反省しないもんね~?」
「いつもとおんなじぐらいじゃ痛くないだろうし」
「先生が、こんなに叩いた子初めてだよってくらい叩いてあげるね」
この日の尻叩きの長さたるや先生の言葉通りだった。
俺がそのうち痛みに耐えきれなくなって床をバンバン叩くと、「こら、今そうした分だけお尻も叩くからね」と数を増やされる。
いや、正確には増えたかどうかさえ分かっていないのだが。
なにせ先生はあと何回で終わるとか全く教えてくれないので、はっきり言って先生の気が済むまで耐えるしかない。
先生は俺が痛くて背中を反らせたり、歯を食いしばって息を吐くのを見て、「可愛い」と笑っていた。
しかし手加減はしてくれない。
帰らなくてはいけない時間ギリギリになるまで、ひたすら丸出しの尻を叩かれた。
「あはは、子ザルちゃんみたい~」
尻が真っ赤になった俺を見て先生はそう言い放ち、まだ這いつくばって尻を突き上げている俺に対し、「今度からこれを、『子ザルちゃんの刑』って呼ぶね」と同意を求めてきた。
要するに俺専用の罰というわけだ。
気に入られていたのが災いして、すっかり目をつけられてしまった俺。
それから何かあるたび、「今日は子ザルちゃんの刑~」とみんなの前でも言われた。
他の子が「何、何?」と騒いでも内容は絶対に教えなかった。
ドSで痴女な女教師も俺の困った顔が楽しいらしく、授業中に俺を指しては、「ではここ、子ザルくん」などと言うようにもなった。
ただし、子ザルの刑が始まるのはみんなが帰った後。
先生と2人きり、おっぱい窒息のエッチな罰ゲームが待っている。